社長の独言

大阪事業所

当然だが仕事を安定して受注することが会社を維持し続ける
条件である。
機械設計会社はコンスタントに製品を作り続ける機械メーカの
設計を請け負うことが経営の安定に繋がると考えている。
しかし、以下のような状況のなかで今後の会社の運営をどの
ようにしたらいいのか考えさせられる。

・従来の業務も非常に大切である。
・顧客の外注に対する要求が高くなっている。
・単純設計作業は海外が有利である。
・海外の設計会社も能力を高めている。
・設計も含めてメーカはコストダウンを続ける。 
・設計者が一定の顧客に固定すると他の装置の設計が出来な
 くなる可能性がある。
・顧客は設計者の専任を望み外注設計はその方が経営の安定
 に繋がると考える。
・設計会社は設計者個人の実力を向上させなければ衰退する。
・設計職を希望する人材が少ない中で高い要求に応えるため
 には小数精鋭にならざるを得ない。
・設計者不足で各種機械メーカからの設計依頼が多い状況に
 対応できていない。
・スポット的発注をしたい新規客先に対応できていない。
・景気の急変に対して対応する準備が出来ているのか。
・AI,IoT等が取りざたされている状況でこのままでいいのか
 という姿が見えにくいものに対する焦り。
                       等々。

これらに関して以前から対策はないかと考えていた。その答
えとして設計からモノ作りまでを考えた事もある。
しかし、資金力が足りない、それ以前に世にインパクトのあ
る独自の製品を提供できなければ危険だと判断していた。

さらに出来ることはないかと考えると結局は設計者の実力を
上げ会社の技術力を向上させる新しい方法が必要だと結論した。

その方法を考えていた頃、優秀な設計者が協力してくれること
になり業種の異なる新規顧客のスポット受注の可能性が出て
きた。さらに同時期にある企業から設計からモノ作りまで共同
でしないかとお誘いを受けるという幸運にも恵まれた。


結果的に大阪事業所を作るということに至る。
いまはまだ小さく優秀な設計者が孤軍奮闘しているが将来的
にテクノリンクの技術力をさらに向上させるきっかけになると考
えている。
このことは既存の資源をおろそかにするということではない。
既存の資源を元に新規の事業を創造し技術力をさらに上げる
ことで従来の顧客にも貢献するという好循環を生み出すとい
うことでもある。

社長独言(60年前の写真)

約60年前の古い写真がある。兄2人と姉と長兄に背負われた
弟の私の4人が写っている。このような古い写真を見るとそこに
写された人の人生はどうだったのかと想像してしまう。
撮影した時にはそれから始まる未来など想像もできない子供た
ちが何の屈託もないはみかみ笑いをカメラに向けている。
だから余計にその無邪気な子らのその後辿った道を思ってみた
くなるのだろう。

私と写っているのは兄姉達だからその後の年月をどのように過ご
したかそして現在どうしているか知ることができる。
私の記憶は大抵の場合いい出来事よりそうではない出来事が芯
になり出来上がっている。私の記憶に残る時々のそれぞれの選
択を後から思えばなぜそうしたのか、間違いではなかったかと思
ってしまう事もある。

自由な時代、人生の分かれ道でどちらに進むかを選択するのは
常に自分だ。それだけは紛れもない事実で誰でも自分の意思で
決め生きてきたはずである。
しかし、その選択はその時々の気ままな時の流れから影響を受
けずにはいられない。

———————————————————-

写真に写る約60年前の生まれたばかりの私は正しい選択をして
きたのか?

昭和30年代の右肩上がりの好景気が世界情勢とは関係なくいつ
までも続くとはいかなくなりはじめていた頃、私は小学生だった。
それ以降私が生きてきた時代を振り返れば以下のような日本経
済に影響を与える変動が起きている。

・エネルギー革命(石炭から石油への転換)
 (1962年 原油輸入自由化 6歳)
 炭鉱業の没落。家業は炭鉱相手の事業をしていたので大きな
 負債を負う。
・ドルショック(15歳位、中学生)
・第一次オイルショック (17歳頃、高校生)
・第二次オイルショック (23歳頃、大学卒業後就職浪人中)
・バブル崩壊 (35歳頃、独立)
・リーマンショック (52歳、京都駅前へ会社移転直後)

私の人生の中で少なくともこれだけの出来事が私に影響を与えて
いる。運の悪いことに私には節目節目で苦境がやってきている。
独立後関係していた半導体関連の不況も何度か味わされる。
 
これらの出来事の中で初めて体感したきつい影響は高校卒業時
や大学卒業時の状況だろう。この時点で就職状況が良かったら
進む道は違っていたはずだ。会社経営に苦労していた父親から
は勤め人になれと言われていたからそのつもりだった。 

大学を卒業し就職浪人1年後の23歳の終わり頃なんとか就職す
る。その後一社目を辞めて二社目に勤めているときにあのバブル
がやってきた。
私の身近な人々でお金に余裕のある人達が踊ったバブルの印象
は株で何百万儲かったとかいい車を買ったとか所有する土地の値
段が上がったという景気のいい話を自慢しあうというものだ。

私自身のバブル時代はとにかく忙しく作業着を油だらけにして機械
をいじくり廻し悪戦苦闘していた。
そんな中でもお金に余裕のある会社が自由に設計させてくれた装
置を完成させそれを私の子供の前で作動して見せたら子供が驚き
喜んでくれた。私のささやかなバブルだった。

訳も分からず儲かる世間と訳も分からず驚いてくれる私の子供た
ち。ある意味私もバブルの恩恵を全く違った形で受け取っていた
と言えるかもしれない。

その後すでにバブルがはじけていたのを知らずに私は独立した。
身近に仕事が無かった。それが原因で仕事を求めて自営業で妻
子4人を置いて5年間の単身赴任という妙なことになる。
その時代の状況が読めていなかった。
その後は不安に駆られながら根拠もなくなんとかなると自分に言
い聞かせ働いた。5年後、京都に引越し何とか家族と住めるよう
になった。
その後会社を起こし10年間、安定的な仕事が取れず苦労する。
やっと安定客が出来たと思ったらリーマンショックがやってきた。

こうしてみると私が行動を起こすタイミングは良かったとはどう
しても思えない。
子供の頃のあどけない写真の私のその後は悩みながら最良と思
われる道を決めてきたつもりだがここまでたどり着くまでに時代の
流れに影響され続けて生きてきたということが結論のようである。

 

社長独言(リスクとコスト削減)

新しい年を迎えた。
社員一同健康で無事新年を迎えられたことを感謝し
今年も全員健康で過ごしてくれることを願う。

元旦、久しぶりの家族全員の団らんのあと、一人にな
って今年の機械設計業界はどうなるのだろうと考えて
みた。

我々の設計という業務はメーカーの製品開発が少なく
なれば仕事量は減少する。
メーカーが開発の手を緩めることはライバルに後れを
取るということと同じ意味である。
今まで我々が関わる範囲ではそのメーカーの方針が大
きく変わる事はあまりなかった。
しかし、昨年はその当然と思っていた私の考えが下記
の出来事で一変した。
我々の関係する業界のあるトップメーカーが他の競合
先と合併すると発表した。その合併の効果として一つ
は開発費を抑えられると表明したのだ。

成長が見込めない現在の状況は一般的にその他の業
種を含めても景気の好不況のサイクルの予想がしにく
く好況がやってきてもその期間は短い。それに対する警
戒感がさらに企業を萎縮させ注意深くさせている。
マニュアル化できる工場作業のほとんどは海外移転し国
内にわずかに残った作業は賃金を抑えられた期限付き
の作業員が実行するか疲れもせず一日中休まず文句も
言わないロボットが実行している。
その結果日本企業が「コスト削減」と「労務リスク回避」
を得、自分の力で普通に働く人は急激に職を失った。
機械設計もその例外ではなくなりつつある。

企業のコスト削減は存続のために止むことを知らない。
従来より効果がすばやく見込めるところからすでに手を
打ってきたがコストダウンが進むにつれ相対的にも開発
コストが大きくなってきたのだろう。
そしてとうとう開発部門も聖域ではなくなり開発設計の質
を問われることになり「開発案件の選別とそのコストと効
果の精査」がされるようになったのではないかと想像して
いる。

このような単純な考えでも大きくは外れていないだろう。
とうとう開発設計までコスト削減が及んできたのである。
当社は開発設計が主であるから影響は大きい。

また、このような状況の中で機械設計業界では「作業量
の減少」が進み同時に「人材不足」が発生していると私は
見ている。
一見矛盾しているようだがメーカーの「開発案件の選別
とそのコストの精査」という命題と機械設計作業はマニュ
アル化できにくいということを考えたら何の矛盾もない。

コスト削減を進めた結果の”人材不足”とは「実力のある
人材の不足」である。
より以上の作業の高精度化と専門化が進んでいるのである。

今後我々が客先の要求に応えるにはどうするべきかは
当面は明確である。
コスト削減に対するには「設計力の向上」、労務リスクに
は「広い意味での人間的な力の向上」である。
すなわち「設計力」と「自立力(人間力)」のさらなる向上
しかないのである。
今のままでいいという考えや将来を想像しない行動しな
い姿勢は「リスク」であり遠からず「コスト削減」の対象に
されるだろう。

社長独言(水道管破裂)

お盆休みの8月13日は洗濯機の修理をする。
我が家の次男坊が「母さんが洗濯機の調子が悪いと言っている。
修理する?」と前日の山登りで筋肉激痛の私に言ってきた。
以前使っていた洗濯機を息子と4度ほど直したことがあり気楽
に言う。嬉しそうである。その時の修理は電気系統の接触不良
3回ほど、洗濯槽を取り出してのヌメヌメのついた洗濯槽裏側
の分解掃除。その洗濯機は隣でまだ現役である。
 
洗濯機は購入後6年。不具合状況は洗濯機蓋のロック機構が連続
でカチャカチャいうばかりで蓋がしまっていないと認識され洗濯
が始まらない。
なんだか制御的におかしくなっているのか。素人では修理が難し
そうだ。息子と二人であれこれ考えた。

いずれにしてもこのままじゃ使えないから分解して壊れても諦め
がつく、やってみるかといつもの結論になり洗面洗濯脱衣を兼ね
た狭い場所から我が家で一番広い居間に引きずり出すことにする。

息子達には子供の頃からいろいろと手伝いをさせていたからか作
業の先を読むのが私とほぼ同じで二人でこんなことをすると面白
いくらい作業がはかどる。
ここに長男がいたら私の出番はない。

居間を片付け広い場所を確保して洗濯機を移動し、15分ほどで
分解。あれこれ見ても原因がなかなかわからなかったがロック機
構にソレノイドを使ってありそこが怪しい。機構部分を分解し構
造を理解し息子の「ソレノイドの温度が上がれば能力が落ちる」
という意見がヒントになり原因と思われるところを探り当てた。
自信が無いながらも対策をとってみる。それはソレノイドがオフ
の時に鉄心を復帰させるバネのセット時の力を弱くするというこ
とだった。
慎重にバネ受けから外れない長さでヤマ勘で2巻ニッパで切った。
元通りに組み立てる。スイッチを入れる。うまくいった。

今まで息子たちと簡単な物は作り、修理できそうなものはトライ
して楽しんできた。
修理できなくても廃棄する前にバラバラに分解したりした。


そんな中で我が家で思い出してはみんなで大笑いしている出来事
がある。
10年以上前のことである。夜中にトイレ行った私は配管からわ
ずかに水漏れしているのに気づいた。私はさっそく工具で締めに
かかった。ところが内面が腐食して肉厚が極端に薄くなっていた
配管は根本からポッキリ折れ水が吹き出し大騒ぎになった。
丁度、潜水艦ものの映画で深海の水圧で破壊された配管から水が
吹き出し必死に水を止めようとする場面そのままを想像したらい
い。

老朽マンションの2階なので階下に水が漏れる可能性が大きい。
以前風呂の水をあふれさせ階下に迷惑をかけたことがある。
大変である。私は少しも効果がないのに無意識に水が吹き出す配
管の折れ口を手で押さえびしょ濡れになりながら家族に大声で指
示した。
「毛布を持ってこい!」「タオルじゃない!毛布だ!早く持って
来い!」「足りない!もっと持って来い!」「パイプスペースの
ドアのカギをさがせ!見つけたら元栓を閉めに行け!」
家族4人がパニック状態で必死になって大声を上げながら大騒ぎ
をした。

私の家族は5人である。もう一人、必死のてんてこ舞いに参加し
なかった娘がいる。後にあの時何をしていたかと娘に聞くと、4
人が大騒ぎで走り回っている様子を見て可笑しくて可笑しくて自
分の部屋に駆け込み大笑いしていたというのである。
4人は一瞬目が点になりその後おかしさがこみ上げてきて5人で
大笑いした。

結局、この思い出話の主役は潜水艦の艦長よろしく次々と必死に
指示をし家を救った私ではなく、手伝うこともなく4人が駆け回
る様子がコミカルに見え一人自分の部屋で大笑いしていたこの娘だ。

社長独言(愛宕山)

お盆休みの8月12日は愛宕山に一人で登る。通勤電車から毎
日眺める山でいつか登ってやろうと考えていた。

阪急嵐山からバスで清滝まで行く。バスが走り出してすぐに乗
り合わせた大学生らしき二人組が冷麺と思われるものを食べだ
した。車内には酢の臭いが充満。ビールを飲みながら大声で喋
り楽しそうだった。

清滝バス停に着くとまず清滝川に架かる橋まで下る。
橋を渡るとすぐに登山道の案内があった。右の道を登ると頂上
まで距離7000m、左の道が4000mとある。迷わず左の
道に向かう。時間は14時20分。体力に自信がないから休み
休みで登り3時間、下り1時間30分と予測する。すこし暗く
なるだろうが19時前頃までには帰れるだろう。 

登り始めたらすぐに小学3~4年生とおぼしき男の子とすれ違
い「こんにちは」と挨拶される。そのあとすぐにすれ違う人が
いなかったのでもしかして一人だったのか?などと驚きながら
急な坂道にさっそく息が上がりだした。ややあって次々と下り
てくる人達と息絶え絶えの挨拶を交わしながら進む。
もう下りようかという考えが頭をよぎる。

登りはじめの道脇に1/40の立札がある。距離4000mだから
100m刻みにあるのかと思いつつ最初は平地の100m意識
だから何でもないと思ったがこいつが曲者だった。
きつい坂についついこの立札がさっさとカウントアップするの
を期待する。
20/40の立札ではまだ半分。帰りたくなった。我慢してもう少し
と進んでいると今までと比べ坂が緩やかな気がしてきた。今ま
でより前に進んでいる感じがする。30/40が過ぎたころからペー
スが早くなった気がする。そして40/40の立札に到達。
そこから愛宕神社本殿まではまだ少し距離があった。
16時50分、本殿に着く。
所要時間約2時間30分思ったより早く着く。
お参りし10分ほど休み早々に下る。

電車から見て想像していた通り愛宕山の頂上付近には大きな杉
の木が文字通り林立してパノラマの眺望ではなかった。
しかし、天気も良かったせいでやや広い樹間から京都御所の森
がはっきり見られた。

来た道を帰る。膝ががくがく震えている。足が上がらず(下る
ときも足が上がらなければ躓く)石段にかかとを引っかけ軽く
足首をひねったり、しりもちをつきながら下る。

やっと清滝川の橋まで下りる。ここからバス乗り場まで上り坂。
上がらない足を引きずりながら18時20分頃着。下り所要時
間約1時間30分位か。登りも下りも意外に早かった。

バス停では大学生らしき集団がベンチ付近で騒いでいたので少
し離れた商品の出ない自販機の前にへたり込んでバスを待つ。
大学生らしき集団は帰りにバスが通過するすぐそこに見えるト
ンネルに幽霊が出ると話をしていた。
18時55分発の彼らと同じバスに乗ると「ビデオをまわせ」
だの「写真をとれ」だの「見えた」だのと大騒ぎしていた。

夕闇の迫る中、嵐山のよく晴れた空に三日月がきれいだった。

社長独言(鮎)

10日からお盆休みを14日まで頂いた。
子供も大きくなりそれぞれに予定があり親としては自分の時間を
堪能できるはずであるが、悲しいかな休日に楽しむ趣味もない。

そこで知り合いのY君が鮎釣りを趣味にしているので電話して
みたら11日に行くという。見物させてもらえないかとお願いす
ると快諾してくれた。
指定された川に車で2時間弱かけていき11時すぎ頃に着き連絡
すると朝早くから来ていた彼はもう引き上げるとのこと。残念な
がら見物はできなかった。
しかし、彼と彼と一緒に釣りに来ていたM君の二人は気前よくた
くさんの生きている鮎を「持って帰り」という。
苦労して釣ったのに申し訳ないと思いながらも厚かましく有難く
頂いた。

鮎はスイカのようなキュウリのようないい香りがする。何十年ぶ
りの香りだろう。
子供の頃、アセチレンガス灯を照明にして漁をする「夜漁り」に
連れて行ってもらったことがある。その時の魚籠の中の鮎の香
りとワクワク感を思い出す。

有難くいただいて帰りさっそく串を打ち、塩をまぶし遠火でじっ
くり時間をかけ焼いた「鮎の塩焼き」を家族で頂いた。とれたて
鮎も絶品であったがY君M君の気持ちもその味をさらに押し上
げた。

Y君、M君ありがとう。ごちそうさまでした。

社長独言(働くための基本的資質)

いままで私の育った環境を書いてきたが決して昔自慢や特別だというつもり
はない。私の同世代の人間はおよそ似たような環境で育ったはずである。
私と同じ田舎育ちだったらほとんど同じだろう。

私は今の若者と我々世代の違いがなぜ起きているのかを自分の経験を元に
考え、その違いが就職が決まりにくい原因のひとつになっているのではないだ
ろうかと想像している。
我々世代が無意識に身に付けたであろうことを多くの若者が持ち合わせてい
ないようにみえる。そしてそれは企業が少なくとも入社前までに身につけて
おいてもらいたいと思っていることのようである。
それについて考えてみたい。

以下は、大企業、中小企業関係なく私が実際聞いたことである。

〇挨拶ができない。
 (挨拶は他人と人間関係を築く為の基本)
  私は若いころ理屈抜きに挨拶を強要された。嫌々やっているうちにこれ
  は他人といい関係を作る為に便利だ、気分もいいと気づいたと思う。
  高校生の頃までは挨拶など照れ臭かった。

〇いちいち指示しなければ動けない。
 (指示する人はそのうち相手にしなくなる。自立できない。伸びない)
  私はいちいち指示されて動く自分が情けない気がしていた。
  ただの手伝いだとしても大人のように自分で決めて動きたかった。 

 
〇察して動けない。
 (考えることをしない。先を読めない。仕事を依頼されにくい。頼む相手
  が面倒になる)
  私は他人に言われる前にできるようになったら嬉しくてしかたなかった。
  察して動くとは具体的に例えればテレビドラマで手術のサポートをする
  優秀な看護師が医者が次に何をするか見極め次々と手術具を渡す様子を
  思い浮かべると解りやすいだろう。
  阿吽の呼吸という表現も察することと近いかもしれない。
  察して動ければほとんどの仕事に万能で効くと私は考えている。
  何かを共同でする時に各自が自分の役割を考え察し能動的に動けばこれ
  ほど効率的なことはない。
  日本人が得意と言われた「察すること」は日本の高度経済成長期に世界
  が相手の企業にとって社員を採用したら残らずついてくるコストのかか
  らない強力な武器だったろうと思う。

  
〇注意したり叱るとヘコむかふて腐れる。
 (そのうち相手にされなくなり教えてもらえなくなる)
  私は叱られる度に恥ずかしくて二度と失敗するか!と思っていた。自分
  が悪いと分かっていても叱る人に腹が立ったが・・・。

〇報告できない。
 (周囲に迷惑が及ぶ。他も含めた計画に大きな影響を与える)
  私にはそれができないまたはしないことが解らない。
  これができないと企業で頼りにされる人材にはなれないだろう。

〇仕事に行き詰まっても相談しない。
 (自分も苦しくなる。周囲に大迷惑が及ぶ。仕事を任せられなくなる)
  周囲の事を考えられなくて自分の事しか考えられないと判断される。 

〇学業成績は優秀だったのに考えることができない人がいる。
 (企業の解決すべき問題は入試問題のように答えは用意されていない)
  日頃から様々なことに興味をもち「なぜだろう」と考える習慣を持つし
  かない。学業優秀なのに考えられない、こればかりはボンクラな私には
  全く理解できない。

〇突然会社に来なくなり代わりに親が辞めると言ってきた、または親が会社
 でわが子がいじめられていると言ってくる。
 (いつまでも自立できない。仕事を任せられない)
 私の子供のころの鼻たれ泣き虫をいつまでも憶えている人が何につけ遠ま
 わしに「お前が出来るわけがない!」と言い募るので私は自分では何もで
 きないのかと思い込まされ不安だった。だから出来るわけがないと言われ
 る機械を設計し出来上がった時には頭の上に覆いかぶさる暗雲が外れたよ
 うな解放感を味わった。
 ボンクラがせめて学校頭脳で勝りながら自力でできない連中に負けないた
 めに私は自分の力でなんとかするしかないと考える。
 (私は頭脳優秀で自立して自分の力で生きている人間を見ると実に羨まし
  くて尊敬せずにはいられない。)
 

 
少しいらぬことも書いたが企業はおよそこのような状況に困っている。
以上のような「常識的なことができる」、「非常識なことをしない」という
まずは基本的資質を持った人材、言い換えるなら基本的な部分で自立してい
る人材を企業は求めているように思う。
そのような資質を備えていれば社員となった時に企業は実務に必要なことの
み効率的に教育ができるだろう。

それなりに大人になった脅すような怖い顔した大したことのないプライドや
習慣が身についた連中に企業の担当者が挨拶から教えようとすることを想
像したらぞっとする。
企業に雇ってもらうため企業の要求に応えようと自分を改善したいなら誰か
に頼るのではなく自分で考え行動し良い習慣を身につけることだ。
人の役に立つことが働くことでそれはどういうことか意識して考えれば簡単
に理解できることである。
(常識、非常識の解釈は人によってちがうという意見があるだろう。一般的
に企業に勤めるならばという事を前提にする)


それなりの大人になって身につけるのは苦労するかもしれない。
また、これらを身に付けたからと言って希望する企業に就職できるとは言え
ない。しかし、企業が望むことだから採用される確率は確実に上がるだろう。
いつでもどこでも心がけでできることだからそんなに難しくはないと思う。

社長独言(父のやりかた)

実家が木材業だったので様々な雑作業があった。
小学から大学を出て就職浪人している頃まで父は時々私にその
作業を手伝うよう命じた。

掃除はもちろん、穴掘り、杭打ち、ドブ浚い、長柄の鎌を使う
雑草の下払い、立木の枝打ち、山焼きの手伝い、木を伐採した
山でのワイヤー掛け、まだ小さかった甥である部長とちょっと
した小屋を作ったこともある。

「ワイヤー掛け」とは大木が伐採されたままの山を地下足袋は
いて動き回り切り倒された木にワイヤーを掛けそれにウインチ
とワイヤーでつながった滑車を引っかける作業だ。
こうしておいて運搬トラックが停車している現場に設置してあ
るウインチを巻くと大木も道もない山から積込み現場まで引き
ずりだせる。

強力なウインチがワイヤーを巻き始めると木材の抵抗と均衡す
るまでたるんでいたワイヤーはまっすぐになろうとそこら中を
なぎ倒しながら走る。
滑車を掛けた後に安全な位置に逃げそこない走るワイヤーが頭
に飛んできて着けていたヘルメットが弾き飛ばされ危うく大怪
我しそうになった事がある。
幸運な事にノーヘルだったのを父に注意されて着用した直後だ
った。

ウインチを操作する作業員は現場から遠く離れていて現場の状
況が見えないから無線機頼りの危ない作業だった。

高校3年に車の免許を取るとさらに作業は増えた。
車の運転や好きな大工仕事以外は嫌で嫌で仕方がなかった。
私が逃げ出すと大きな手術の後遺症で体力のなかった父は黙っ
て自分でやろうとするからやるしかなかった。

しかし、箒、ツルハシ、スコップ、かけや、鎌、鉈、鋸、チェ
ーンソーなどの道具の使い方を覚え、身の回りの少々の事は自
分で直せるようになった。(小学6年で軽自動車の運転はでき
るようになった。もちろん私有地内だが・・・。)
また、体を使う作業は段取りを考え効率を良くしないと疲れる
から合理的な考え方が自然に身についたかもしれない。

大人しかった私は人が働く現場を体感し他人との付き合い方も
覚えたはずだ。私は今でも現場の開けっ広げな冗談を言い合い
笑い飛ばす雰囲気が好きである。

結果的に私は生きるための基本的な「体を使うこと」、「考え
ること」、「働くことの原理原則」を教えてもらったように思う。

父に意識的な教育的配慮などというものがあったとは思わないが
遺産よりもっと大切なものを残してくれたと感じている。

社長独言(時代と環境)

甘くはなかった父は子供のころ縫うほどの怪我ぐらいでは心
配などしなかった。
怪我をしたらかえって怒られたくらいだ。

こんな記憶がある。
父が昼寝をしていた時に私が怪我をして医者に行かなければ
ならなくなり起こされた父は心配するどころかひどく怒った。

ある時は、めったに遊んでくれない父と二人で山に行きうれし
くて駆け回っていたら転んで額を竹の切り株にぶつけ顔半分
血だらけになったが手当してくれるどころか知らん顔をしていた。

同じく山に登った時に転んで膝をざっくり切った。兄が背負って
くれたが父は「そんくらいでなんば甘えとるか!」と怒り歩かされた。

よく怪我をする子だと言われていたので父は情けなかったのだろう。

川で溺れて死んだ子を二人知っている。一人は目の前の深み
から引き上げられた。苦しんだであろう顔を今も憶えている。
よく一緒に遊んでいた子は赤痢で死んだ。
自らの過ちで死んだ子らの親はどこかに訴えて賠償金を要求す
ることもなかった。皆で悔み悲しみ生きていることがどういうことか
子供ながらに思い知らされた。
私も増水した球磨川という流れの速い川の岸辺で危うく流されそう
になったことがある。もちろんそんなことがあったとは両親には話さ
なかった。
どこに遊びに行こうが何も言わなかったが心配してもどうしようもな
いと諦めもあったのだと思う。

マムシもよくいた。足元が見えにくいところを歩くときには棒切れで
少し先を叩きながら進めと言われたものだ。
(マムシは他の蛇とは違い近づき過ぎたら攻撃態勢にはいりなかな
か逃げない。しかし、どういうわけか棒切れ等で頭を押さえられあっ
さり捕まりマムシ焼酎や皮を剥がされ干されて薬の原料にされた。
何の効能があるのか知らないが・・・。)

人の生き死にが目の前にあり死にたくなければ自分で考えるしかな
かったその頃は、自立できないいい大人が権利を叫び親の脛や仕組
みに噛り付いて訳の分からぬ理屈をこねて生きられる今のすばらし
い時代に比べたらひどい時代だった。
しかし、勉強できないボンクラな私に諦めと自分でなんとかするとい
う意識を叩き込むにはちょうどいい時代だったのだろう。

私はそんな父と時代と環境で子供時代を過ごした。

社長独言(ミッドウェー海戦)

大量の写真の整理をした。一枚一枚を手に取り仕分けなが
ら妻や子供や自分のものを見つけると過ぎた時間に帰って
いく。写真はそこに写されていないものを思い出させ連想
させる。
あの頃私は何をしていたか、どこにいたか、何を考えていたか・・。

子供の頃(50年位前)父の海軍時代の写真をよく眺めていた。
モノクロ写真の軍艦、純白の軍服に軍帽姿の父。
かっこいいな、と子供ながらに思ったものだ。
父は空母乗組の戦闘機整備士でミッドウェー海戦の生き残りだった。
父の戦争時代について知っているのはそれくらいだ。

父は海軍時代に相当いろんなことを叩き込まれたようだった。
焼酎飲んで酔っ払ったら歌を歌ったりして楽しい人だったが
決して甘い父親ではなかった。
「掃除もできない奴に何ができる」、「自らすすんでやれ」、
「清潔にしろ」、「使った道具はもとにもどせ」、「整理整
頓しろ」などなどよく言われた。
あるときなど父親に反発していちいち反対や貶す事を言っ
ていたら
「こんあまんじゃく(あまのじゃく)がっ!気色んわるかっ!」
と怒鳴られた。
(「気色がわるい」とは男としては最低の叱られ方である。)

当然、理屈抜きだった。

(本記事は更新時削除されたので再登録した。 2013.5.2 投稿)

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