社長の独言

社長独言(60年前の写真)

約60年前の古い写真がある。兄2人と姉と長兄に背負われた
弟の私の4人が写っている。このような古い写真を見るとそこに
写された人の人生はどうだったのかと想像してしまう。
撮影した時にはそれから始まる未来など想像もできない子供た
ちが何の屈託もないはみかみ笑いをカメラに向けている。
だから余計にその無邪気な子らのその後辿った道を思ってみた
くなるのだろう。

私と写っているのは兄姉達だからその後の年月をどのように過ご
したかそして現在どうしているか知ることができる。
私の記憶は大抵の場合いい出来事よりそうではない出来事が芯
になり出来上がっている。私の記憶に残る時々のそれぞれの選
択を後から思えばなぜそうしたのか、間違いではなかったかと思
ってしまう事もある。

自由な時代、人生の分かれ道でどちらに進むかを選択するのは
常に自分だ。それだけは紛れもない事実で誰でも自分の意思で
決め生きてきたはずである。
しかし、その選択はその時々の気ままな時の流れから影響を受
けずにはいられない。

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写真に写る約60年前の生まれたばかりの私は正しい選択をして
きたのか?

昭和30年代の右肩上がりの好景気が世界情勢とは関係なくいつ
までも続くとはいかなくなりはじめていた頃、私は小学生だった。
それ以降私が生きてきた時代を振り返れば以下のような日本経
済に影響を与える変動が起きている。

・エネルギー革命(石炭から石油への転換)
 (1962年 原油輸入自由化 6歳)
 炭鉱業の没落。家業は炭鉱相手の事業をしていたので大きな
 負債を負う。
・ドルショック(15歳位、中学生)
・第一次オイルショック (17歳頃、高校生)
・第二次オイルショック (23歳頃、大学卒業後就職浪人中)
・バブル崩壊 (35歳頃、独立)
・リーマンショック (52歳、京都駅前へ会社移転直後)

私の人生の中で少なくともこれだけの出来事が私に影響を与えて
いる。運の悪いことに私には節目節目で苦境がやってきている。
独立後関係していた半導体関連の不況も何度か味わされる。
 
これらの出来事の中で初めて体感したきつい影響は高校卒業時
や大学卒業時の状況だろう。この時点で就職状況が良かったら
進む道は違っていたはずだ。会社経営に苦労していた父親から
は勤め人になれと言われていたからそのつもりだった。 

大学を卒業し就職浪人1年後の23歳の終わり頃なんとか就職す
る。その後一社目を辞めて二社目に勤めているときにあのバブル
がやってきた。
私の身近な人々でお金に余裕のある人達が踊ったバブルの印象
は株で何百万儲かったとかいい車を買ったとか所有する土地の値
段が上がったという景気のいい話を自慢しあうというものだ。

私自身のバブル時代はとにかく忙しく作業着を油だらけにして機械
をいじくり廻し悪戦苦闘していた。
そんな中でもお金に余裕のある会社が自由に設計させてくれた装
置を完成させそれを私の子供の前で作動して見せたら子供が驚き
喜んでくれた。私のささやかなバブルだった。

訳も分からず儲かる世間と訳も分からず驚いてくれる私の子供た
ち。ある意味私もバブルの恩恵を全く違った形で受け取っていた
と言えるかもしれない。

その後すでにバブルがはじけていたのを知らずに私は独立した。
身近に仕事が無かった。それが原因で仕事を求めて自営業で妻
子4人を置いて5年間の単身赴任という妙なことになる。
その時代の状況が読めていなかった。
その後は不安に駆られながら根拠もなくなんとかなると自分に言
い聞かせ働いた。5年後、京都に引越し何とか家族と住めるよう
になった。
その後会社を起こし10年間、安定的な仕事が取れず苦労する。
やっと安定客が出来たと思ったらリーマンショックがやってきた。

こうしてみると私が行動を起こすタイミングは良かったとはどう
しても思えない。
子供の頃のあどけない写真の私のその後は悩みながら最良と思
われる道を決めてきたつもりだがここまでたどり着くまでに時代の
流れに影響され続けて生きてきたということが結論のようである。

 


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